大埼城址の愛宕山は標高103mである。上杉氏の享禄年間公卿仁位某の後裔という大崎筑前守高清が岩根山(現在の愛宕山、愛宕神社を建立したところから愛宕山と呼んでいる)に大崎城を築いたという居城跡がある。東側は山、西は急斜面で海岸に臨む。山頂からの眺望は実に素晴しく南に米山薬師、北に弥彦山、眼下に佐渡島を望むことができる。
大崎筑前守は代々上杉家の武将であり、春日山にも居館を持ち「鳴環ヶ池」(なるわがいけ)の伝説※1を生むほどの武将であったと伝えられる。
※1 「鳴環ヶ池」の伝説
甲田の奥地浜忠地内に鳴環ヶ池があり、名馬の池ともいう。
『昔、隣村大崎村岩根山の城主大崎家に世にも稀なる名馬あり。項羽の愛馬騅(すい:あしげ)、関羽赤兎(せきと)馬は頼朝の池月(いけづき)・磨墨(まろすみ)にも優れたる名馬なりき。この馬は一瞬よく百里の道を走り、一鞭忽ち千里を駆く。大崎家が吾が子の如く龍愛するも又無理ならぬ事なり。而して善きものを持ちたるを羨むは何時の世にも変わりなく当時国主上杉家では此の事を聞き是非之をと再三懇望あり。贈らんか其の後の淋しさ。夥多の臣下を集めて評議せるが別に案もなく遂に馬を上杉家に贈らんと一決せり。愈々名馬の大崎の地を離るべき時到れり。城主を始め家臣一同惜別の情に耐へず涙を流し居たり。然るに其の日突然名馬厩より姿を消しければ城主はじめ一同其の驚き一方ならず。万一のことあらば上杉家に対して申訳なし。畜生ながら馬又可哀想なり。「家来共探し来よ」と命じ彼処此処と探せるに漸く姿認めたり。「やれ嬉しや」と思ひ之を追ひかけるに、池に到ると共に彼の馬忽ち竜に変じ水中に歿したり。今尚六月三十日に限り鳴環の音聞ゆるなりと伝ふ』 浜忠史より