延暦20年(801)勧請、かつて社領が50石あった由だが、返上地となった。現在、境内近くの地に宮村50石八幡田というところがあるが、これが当社の社他の名残である。浜忠の一の宮といって産土申で、大崎城主大崎筑前守高清が深く崇敬し、社殿を造営し、祭祀の器具等を奉納した。その後次第に頽廃したので、文政7年(1824)1月24日再建した。元治元年(1864)7月22日公命で、浜別神社となった。氏子達は深く遺憾とし、もとの浜忠神社社号復活を懇願したので、やっと明治19年(1888)3月10日に浜忠神社に戻った。