当社はもと応永年間加賀(石川県)の白山神社で伊弉冊尊の分霊を祀ったもので、白山神社といった。明治40年11月30日に小字金塚にあった石動神社を合併した石動神社と改称した。旧石動神社は、文安年中(足利中期)の創建と伝えられ、領主「堀候」の崇敬が篤く、金塚一円の地を社領とされた。神徳も四方に知れ渡り、8月18日の祭日には郡内から多数の参拝者があったそうだ。ことに縁結びその他諸病の霊験があらたかであったそうだ。よって、椎谷の馬市が栄えた当時は、近郷はもちろん、遠くからも参拝者があり、大変にぎわった。旧社地は甲田村本村から、東北、十町余の山頂にあった。社殿の維持が困難だったので、明治40年白山神社を里宮として石動神社と改称し、旧石動さんは本宮として残っている。